◆Drunk Witness
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「歯を立てた時に、こう殻を突き破ってぷつっと溢れるエビの身が……あの、どうなされました?」
「おい、サイレンス。どうしたんだよ」
……見かけによらずなかなか野性的な女なんだな。
「あ……申し訳ございません! 下賎の身でありながら高貴な方にこのようなお話を! 本当に申し訳ございません!」
……ん。どうかしたのか、この女は。
「ああ! どうかご無礼をお許しくださいませ! そ、それでは……失礼致します!」
「あ! メサルティム!」
何事か、とたずねようとした瞬間、水妖は激しい水しぶきを立てながら湖の奥へと消えてしまった。いったい、何がどうなっているんだ?
真意を確かめようとした私の目に映ったのは、あきれ返ったヒューズの顔だった。
「お前な、にこにこ笑えってまでは言わないからさ。でももうちょっと愛想よくできねえの?」
彼女がずっと怯えていた旨を付け加えて、ヒューズは深いため息をついた。
「ほら、もうちょっと肩の力を抜いてだなあ。顔の力もほぐしてこう、な?」
さんざん私の頬をつねり倒して、ヒューズはにっ、と普段の(馬鹿丸出しの)笑顔を見せた。
真似をして欲しそうだったので、それに習って私もできる限りの力をもって頬の筋肉を吊り上げる。とたんに、ヒューズの顔がさっと青ざめた。
「……もういい。お前は笑うな。絶対に笑うな」
それだけ言うと、目と鼻の先に見えていたレストランへと彼は姿を消した。まったく、笑えと言ったり笑うなと言ったり、ころころと意見を変える忙しい男だ。
昼時を少し過ぎたレストランは客もそんなにおらず、落ち着いた雰囲気の中でたまに人の話し声が聞こえる、といった程度で疲れを癒すには丁度よい環境だった。
入り口に近い席に腰を下ろし、ヒューズはまだ時間の間に合ったランチセットを、私はいつものように蜂蜜を注文した。……リンゴの蜜か。懐かしいな。まだ蜂蜜を知らなかった時代にはよくリンゴの蜜を口にしたものだが、ミツバチが集めたというだけでこんなに味が濃厚になるものなのだろうか。
ヒューズはよほど腹が減っていたのだろう。普段ならあれやこれやと口にしながらする食事も、今日はただ無心にむさぼっている。飲み込んだかと思えばすぐに新たな一口を運ぶ。まるで親鳥に餌をもらっている雛のようだ。
「さすが、評判のレストランってだけあって味付けも抜群だな」
何もなくなった皿にナイフとフォークを置き、ヒューズがそう言ったのは店に入って三十分も経過した頃だった。
「あっさりしてて、でもソースは濃厚なんだよな。こんなうまい店なら女の子も喜ぶんじゃないのかな」
「まったく懲りない男だね、あんたも」
いやらしい笑みを浮かべたヒューズのすぐそばで声がした。どこかで聞いたことのある声だ。
声の主を思い出そうとしたところで、私はヒューズの異変に気がついた。さと青ざめた顔、呆然とした表情。そういえばついさっきシップ発着場であのハミルトン艦長とやらに出会った時も確か――。
そこまで考えて、私はやっと今しがた聞こえた声の主に思い当たった。振り返ってみると予想は的中。先ほどの女軍人が私の背後に立っていた。
「……何であんたがここに」
どういった顔をしたらいいのかわからないのか、笑うとも怒るともつかぬ表情で尋ねたヒューズに対し、ハミルトン艦長は呆れた表情を崩さない。
「何でも何も、ここは私のお気に入りのレストランでね。仕事のついでに遅い昼食でも、と思ってきてみたら、あまりにも見飽きた顔が聞き飽きた台詞を言ってるもんで、思わず声をかけてしまったんだよ」
「へえ。……見飽きた顔に聞き飽きた台詞ね」
ヒューズが顔をしかめるが事実には違いない。思わず頷いてしまった私を見て、ハミルトン艦長はふっと笑った。
「ほらご覧。相棒さんもそう思ってるみたいだよ――あんたも大変だねえ。仕事とはいえこんな男に付き合わされるなんて」
憐れむような視線で見られてしまった。頷いておいた方がよいのだろうか。
かたや、反論もできないヒューズは人間の子供がそうするようにわずかに頬を膨らませていた。もっとも、二十七歳にもなる男がそうするさまは気持ちが悪い、としか言いようがないのだが、本人が自覚しているかどうかは怪しいところである。
そんなことを考えていると、突然ヒューズの方から電子音が鳴り響いた。本部からの呼び出しだ。これ幸いにとヒューズが応答すると、スピーカーの向こうからレンの声が響いた。
『先輩、今オウミですよね?』
「そうだけど。どうかしたか?」
IRPOから支給されているものの一つに小型トランシーバーがある。仕組みはよくわからないが、捜査官同士や本部と通信ができる機械だ。併せて支給されている携帯電話と同じく電波なるもので通信する、という話だが、以前ラビットに聞いたところ、あまりにも難解な説明をするもので右から左へ流してしまった。
このトランシーバーにはRPSなる機能も入っているらしく、電源を入れておけばどのリージョンにいてもそのトランシーバーが今どこにあるのかがわかる。――いや、どのリージョンというわけでもないな。実際、私がオーンブルにいた時にはわからなかったようだから。
とりあえず、これも電波というものの成せる技らしい。
それだというのにわざわざ私たちがオウミにいることの確認を律儀にしてから、レンは用件を話し出した。なんでもオウミ署から捜査要請が入ったのだという。
「ようやく仕事に取りかかるようだね」
隣りのテーブルにいたハミルトン艦長もどうやら食事を終えたらしい。伝票を片手に席を立つと、なぜかこちらの伝票まで持って会計に行こうとする。
「おい、それは……」
「どうしてこのレストランのメニューに値段が書いてないのか知ってるかい?」
そう言うと伝票を店員に渡す。店員が先にハミルトン艦長の伝票を打ち込む。続いて私たちの伝票を――1000クレジット!?
「一捜査官のお財布では少し厳しいだろうね」
私たちの見ている前で出された金額を払い終えると、ハミルトン艦長は何を言うでもなくさっさと出て行ってしまった。思わずぽかんとそれを見送ってしまった私たちも慌てて店外へと飛び出したが、少し遅かったのか、ハミルトン艦長は迎えに来ていた車に乗り込むとシップ発着場へと向かって行ったところだった。
「……やられちまったなあ」
ぼそりと呟いたヒューズに同意を示すと、私たちもまたオウミ署へと向けて出発した。
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