◆The Adventure of the Aimed Man
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「マリーの居場所? 知らないねえ」
天井に煙を吐き出して女が呟いた。ふざけているのか本気なのか、うかがい知れないような表情を見ると、少しばかり薬も入っているようだ。
「なあ、頼むから協力してくれよ。そのマリーって女が重要なんだよ」
「そんなこと言われても知らないもんは知らないんだよ。しつこい男だねえ、あんたも」
先ほどから数回同じ問答を繰り返している。ついに我慢できなくなったのか、ヒューズが深いため息をついた。いつも思うが、忍耐力のない男だ。
「じゃあ、こうしよう。教えてくれってんじゃない。司法取引ってやつをしようぜ」
「司法取引?」
「そうだ。お前が今そうやってプカプカふかしている大麻のことは見逃してやる。だからマリーの居場所を教えな」
やはり気付いていたのか。さすがに、この男もそこまで馬鹿ではないらしい。意地の悪そうな笑顔を浮かべ、女を見やる。それが癪に障るのだろう、女は唇を噛んでヒューズをにらみつけた。
「これだからIRPOってのは嫌いなんだよ。人の弱みにつけこみやがって」
「まあ、そう言いなさんな。あんただって、そのタバコがないと生きてけないんだろう? 悪い話じゃないと思うんだが」
「……信用できないね」
それはそうだろう。いきなり現れてそんな取引を持ちかける人間をさっさと信用するなんてよほどの馬鹿だ。特にあくどいこともやっているトリニティの機関ということもあって信憑性はさらに下降する。
「信用する、しないはあんたの自由だ。でも俺はそんなにほいほい約束を違える男じゃあないぜ。何ならあんたたちのやり方で契約を交わしてもいい」
クーロンの者たちが好んでやる契約方法がある。文書を作成した後でそれぞれの左の親指を切り、そこから溢れた血で自分の名を入れる。もちろん、公文書ではそんなことはしないが、裏の世界では半ば常識としてまかり通っている方法だ。少しでもクーロンの裏に繋がりのある人間で知らない者はいない。当然、ヒューズもその一人だ。
今までのらりくらりとはぐらかしていた女も、さすがにバタフライナイフを左親指に押し当てそう言った男を信用する気になったらしい。
「わかったよ。わかったからそのチンケなナイフをしまっとくれ」
短くなったタバコを壁に押し当てて消すと、女は足元にあったサンダルを引っ掛け戸口へ向かう。
「いるかどうかはわかんないけどね。ついてきな」
下着一枚に軽い上着を羽織っただけの女の後を、私とヒューズはゆっくりとついていった。
* * *
「おかしいねえ。いつもならこの時間はいるんだけど」
先ほど訪れたこの女の家と同じようなバラックに到着した私たちは、部屋の中に誰もいないのをもう一度確認して、誰からともなくため息をついた。
「おいおい、本当にここがマリーの家なのか?」
「当たり前だよ! ほらご覧」
女が壁に突き刺してあった写真を指差した。化粧の濃い女と男が一緒に写っている。男の顔には見覚えがあった。昨夜殺されたワン・ヤオだ。
「この赤いドレスを着てるのがマリーだよ」
「へえ、なかなかの美人じゃないか。で、横に写ってんのがワン・ヤオか」
「あんた詳しいね。ま、色々と悪い噂の絶えない男だったしIRPOでも知ってるかもね」
「へ? あんた知らないのか?」
ヒューズの問いかけに女が不思議そうな顔をする。
「知ってるに決まってんだろ。むしろ裏通りで知らないヤツなんか……」
「違うって。ワン・ヤオは昨日の晩殺されたんだよ」
「嘘だろ?」そう呟いた女にヒューズは手帳の中から一枚の書類と写真を出した。出されたものはクーロン署でコピーしてきた調書だ。あんなにほいほい見せてよいものだろうか、と思ったが、別に害がなければいいと思って女の顔色を窺う。
彼女は何度も視線を上下させて書類を見直していたが、やがて無言のままベッドへと倒れこんだ。慌てたヒューズが彼女の腕を取り、何とか座らせた。
「おい大丈夫か?」
その問いかけに女は首を横に振った。さすがに知っている人間が殺されたと知って気が動転しているのだろう。ぽかん、と口を開けたまま、ヒューズの顔をまじまじと見る。
立ち直るのにしばらくはかかるだろう。そう思った時だった。
「あっれー? マリーはまだ帰ってないのかい?」
この場にそぐわない陽気な声が響き、痩せ細った女が戸口から入ってきた。
「何だよジュディス。男を二人も抱え込んで一人でお楽しみかい? 何なら私も混ぜて欲しいもんだねえ。あ、私はこの王子様みたいな格好の兄ちゃんの方がいいけどさあ」
一気にそうまくし立てるといきなり私の腕を取って甲高い声で笑った。声も耳障りなことながら、入ってきた時から匂っていた香水と酒の匂いがあまりにもきつくて腕を離そうとしたところ、さらに強い力で引っ張られ、近付いた顔とさらにきつくなった匂いにめまいがした。
「つれない男だねえ。まあ、それぐらいの方が女も喜ぶってもんさ」
「おいおい、ちょっと待てよ」
見かねたヒューズが間に入り、ようやく私は解放された。もう少し遅ければ間違いなく剣で切りつけていただろう。
「冗談言ってる場合じゃないよ、リズ」
いささか沈んだジュディスの声が響く。
「昨日の晩、ワンが殺されたらしいよ」
「はあ!?」
リズと呼ばれたあの騒がしい女が一瞬驚いた表情を見せる。しかし、それはすぐに先ほどと同じキンキンと甲高い笑い声となって部屋に響き渡った。
「アハハッ! このエリザベス様を騙そうたってそう簡単にゃいかないよ!」
あまりにおかしかったのかケラケラと笑い声を立てて女はしゃがみこんだ。
「じゃあ何だい? 私が今朝見たワンは幽霊だってのかい? いるわけないだろ、そんなもの!」
「何だって!?」
ヒューズが素っ頓狂な声をあげる。私も普段からしゃべっていたなら同じようにしただろう。思わず羽が出てきそうになったが、寸でのところで我に返り何とか抑えた。
「本当に今朝見たのか? 寝ぼけてたとか見間違いとかじゃないのか?」
「ハッ! 口の利き方には気をつけな。いくら私でもねえ、知り合いの顔を見間違えるほどもうろくとしちゃあいないよ」
ようやく立ち上がると女はジュディスの横へと腰を下ろした。
「あんたこそ口の利き方に気をつけなよ。この兄ちゃんたち、IRPOだよ」
「は? なーんだ。せっかくイイ男でもIRPOならいらないね。さっさと帰んな」
「そうは言ってもだな。俺たちはさっきのあんたの言葉を見逃すわけにゃいかないんだ」
ヒューズは彼女の前に陣取ると、視線を女に合わせた。
「ワン・ヤオを今朝見たって話、聞かせてくれよ。ついでにマリーの話も教えてくれると嬉しいんだがねえ」
「マリーの話? ……何が聞きたいんだい?」
「全部さ。俺らはそのマリーって女のことや、マリーとワン・ヤオの関係については何も知らない」
この通り、と両手を合わせて頭を下げたヒューズは、横でぼうっとその様子を見ていた私の頭を無理矢理押さえつけた。仕方がなしに彼を真似て、私も頭を下げる。
「なあ。頼むよ、マジで」
低姿勢になった私たちに気をよくしたのか、女はフフンと笑うと「わかったよ」と呟いた。
「しょうがないねえ。まあ、私の知ってることは話したげるよ。ちょっと長くなるからさ、そこの綺麗な兄ちゃんも座んなよ」
そう言うと、女はそばにあった木の椅子を私に足で指してみせた。固そうな椅子だな、と思いながらも腰を下ろすと、リズという女はタバコに火をつけ、ふっと一口煙を吐き出した。
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