◆The Adventure of the Aimed Man
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 昼でもどこか薄暗い裏通りを少し進むと見慣れた建物が見えてきた。外からでも陰鬱さが伝わってくる上に中に入ったとたん、人を寄せ付けない静けさと不気味さが襲ってくる。

「いつ来ても辛気臭い場所だなあ」

 病院だからな。しかもあのヌサカーンの。

「まったく、もうちょっと電球でも明るくすれば……」
「明るすぎると目が疲れるのでねえ」

 いきなり目の前に現れたヌサカーンが、傍らに置いてあった骸骨を撫で回しながらそう言った。何でも、昔担当したある病人の遺骨らしく、あまりにも美しかったのでここに飾っているのだと言う。

 ヒューズは「妖魔は理解できない」と言っていたが、同じ妖魔の私でも彼の趣味は理解できない。

「二人で来たということはIRPOの仕事かな? それともどちらかが難病に――」
「ひっじょーに残念だが、前者だな。ちょっと担当している事件であんたの名前が出てさ」
「それはワン・ヤオのことかね?」

 さすがはヌサカーン。鋭い。ヒューズも思わず口笛を吹いて感心を表した。

「わかってるなら説明する手間もはぶけるってもんだぜ。昨日のことも含めて、ワン・ヤオのことについて教えて欲しいんだ。捜査に協力するってことでさ」
「まあ、別に構わんが……。今カルテを取ってくる。少し座って待っていてくれたまえ」

 そう言ってヌサカーンは診察室兼手術室へと消えていった。私とヒューズはとりあえず手近にあった椅子を引き寄せて腰を下ろす。ほどなくしてヌサカーンがかなり分厚いカルテを手に戻ってきた。

「すごい量だな」

 その分厚さに目を丸くしたヒューズだったが、IRPO本部専属の病院に保管されている彼のカルテがあれ以上の分厚さであることは知らない。私は、半年ほど前に彼が任務中に大怪我を負って担ぎ込まれた時に初めて目にしたが、たかだか勤続五年でこんなにも怪我をした上に、あそこまでピンピンしている彼はやはりどこかクレイジーなのだろう、と妙に納得したものだ。

「彼は傷が絶えなくてね。その割に大きな怪我や病気はしないもんだから、あまりよい患者とは言えないのだが……と、これだな」

 とんでもないことを呟きながら、ヌサカーンは何枚ものカルテの中から一枚を摘み上げると、真ん中あたりを何枚かめくった後こちらに寄越した。

「これが昨日彼が訪れた時のカルテだ。左眉毛のちょうど上を五センチばかり切っていた。本来の治療ならば縫合、となるのだろうが、私としてはそんな縫うほどでもないと思ってね、この妖魔の白衣でささっとな」
「本当に、その節はお世話になりましたー」
「いつも世話してやってるだろう。やれ、喧嘩の仲裁に入って自分も怪我しただとか。君のカルテも一応作成しているのだが、ついでに見るかね?」
「いらねえ。頼まれても見たくない」

 私は少し見てみたいな。

 それはさておき、カルテによると、ワン・ヤオの怪我はそんなにひどいものではなかったらしい。傷口はきれいに切れていたようだが、傷自体はあまり深くなく、出血もさほどではなかったようだ。

「ふんふん。喧嘩していて、割れたビール瓶で切られたのが原因と。よくある原因だな。それはそうと、医者は悪筆だってよく言うが、例に漏れず素晴らしいまでの悪筆だな。サイレンスとタメ張るぜ」

 失礼な。これに比べたら私の方がまだマシだ。

「失礼だな。サイレンス君に比べたら私の方がまだマシだ」

 ……考えていたことは同じらしい。まあ、どっちもどっこいどっこいということか。

「それにしてもワン・ヤオってヤツはよく怪我してるな。四日にいっぺんはここに来てやがる」

 お前はもっと短いぞ。二日半に一回だ。

「彼はここの常連の一人でね。些細な喧嘩でよく殴りあいだの、果てには殺し合いに近いことまでやらかすから、本当に生傷の絶えない男だったよ。しかしまあ、そんな彼ももう来ることはないのだと思うといささか寂しさを感じるな」

 そうだ。彼は死んだのだ。このびっしり書き込まれたカルテも、もうこれ以上増えることはない。

 殺人事件が回ってくるたびに調査に出て思うことがある。なぜ、人間はこんなにも簡単に死んでしまうのだろう、と。妖魔ならほったらかしていても治るような傷が人間にとっては致命傷になる。ちょっとした傷口が治らず、死を招いた例も幾度となく見てきた。

 数百年の昔、初めてそれを目の当たりにした私は、なぜ人間がこんなにも簡単に死んでしまうのかということに興味を持った。それ以降、各地を転々としてその原因を探し続け、四年前にちょっとしたきっかけでヒューズと出会った。誘いを受けてIRPOに入り、犯罪捜査に携わっているのもその原因を探るためだ、ということもある。残念ながら未だにその原因を突き止められてはいないのだが。

「見てみたまえ。こっちのカルテは一週間連続ご来院だ」

 ヌサカーンが示したカルテを見ると、なるほど毎日ここに来ているのがわかった。理由は昨日とほぼ同じで喧嘩による負傷ばかりだ。

「しかし、何だってこんなに喧嘩ばかり……」
「ああ、それはだな。たいていが女性絡みなのだ。一緒に寝た女の恋人や夫に殴られたり、時には自分が捨てた女に刺されたり、よくまあ懲りないものだと思うほど繰り返す」
「うへえ。まあ、よくモテますこと」
「羨ましいかね? いつも愚痴っているロスター捜査官殿」
「んなわけあるか!」
「いやいや、しかし。彼は人間にしては美しい顔をしていてね。そうだな。例えるなら、ゾズマからあの珍奇な衣装を剥ぎ取って、普通の服を着させ、さらに顔を二割ほど悪くして、きざさを一割増し、フットワークの軽さを三割増した感じかな」


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