◆The Adventure of the Aimed Man
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「これはこれは。本部特別捜査課のロスター捜査官とサイレンス捜査官」

 クーロン署に到着した私たちを出迎えたのは、太った顔に気持ちの悪い笑みを浮かべた男だった。

 握手を求められたので応じたのだが、手がやけにねっとりとしていて思わず顔をしかめたところ、「ヒー!」と悲鳴を上げられ、オウミで会った水妖を思い出した。

 各リージョンに支部を配置しているIRPOだが、トリニティと協定を結んでいないネルソン、ムスペルニブル、ファシナトゥール、ボロにはもちろん存在していない。ネルソンやボロには独自の治安維持組織があるし、ファシナトゥールには妖魔の世界にその名を轟かす黒騎士団がある。ムスペルニブルにはそんな組織は一切ないが、あの指輪の君ヴァジュイールが統治しているし、そもそも妖魔が人間の組織であるトリニティに治安維持を一任するなど考えられない。その割にクーロンとシップ運行契約を結んでいるのが不思議ではある。

 ともあれ、各リージョンの支部には署長がいる。彼らはトリニティの要請により、様々なリージョンの署長を勤め上げた後、IRPOやトリニティの重役へとなるのだが、どうやらこの目の前の男もそのようで、今年の異動で出世してクーロン支部の署長としてやってきたらしい。通りで見たことのない男だと思った。

 私的には以前の緊張感溢れる署長の方がよかった。彼がいた頃のクーロン支部は支部別の検挙率も一番で――その分、犯罪発生件数も一番だったが――本部まで仕事が回ってくることはあまりなかった。それがここ数ヶ月、本部への援助要請の数が跳ね上がっていると聞き、いったいどうしたのだろうと思っていたのだが、どうやら原因はこの男にあるようだ。

「まったく。クーロンの署長があんな緊張感のない男とはな」

 ヒューズの言葉に力強く頷くと、彼は「さすが相棒。気が合うな」と、前で一人しゃべり続ける男を見て乾いた笑いを漏らした。

 部屋に案内され、ようやくおしゃべりから開放されると、私とヒューズは目の前に置かれたファイルにいっせいに目を通し始めた。

 一冊のファイルに収められているのは死体発見時の状況や現場の写真、検死解剖の結果から被害者の身辺調査資料など多岐に渡っているが、本部から持ってきた資料の詳細版、といったものなので、全てに目を通すのにさほど時間はかからなかった。

 被害者のワン・ヤオの血液からは微量の睡眠薬が検出されていた。テーブルの上にあったコーヒーカップから同じ成分が検出されていることから、軽い睡眠に陥った後で首をナイフで切られ、それが致命傷となったのは明らかだった。

「コーヒーを出したってことは、知人の可能性が高いってわけだ」

 確かに、まったく知らない人間を部屋に上げ、コーヒーを振舞うような人間は、少なくともここクーロンでは皆無に等しい。

「それにしても……こりゃ参ったな」

 ファイルから目を離したヒューズがこぼす。

「目撃者なし、怨恨かどうかもいまいちわからん上に被害者自体が謎の人間……か」

 資料を見て驚いたのが、被害者ワン・ヤオ自身に関する情報の少なさだった。親しい友人もほとんどなく、出生地もクーロンだということしかわからない。それも本人が言っていたのと彼の数少ない知人からの証言で明らかになったことだ。

 そして何より、この男には戸籍がなかった。まあ、私も知り合いは少ないし戸籍などは持っていないが、人間の社会には戸籍制度というものがあって、その者がいつ、どこで生まれ、誰を親としているかなどが詳細に記されている。いわば、その人間が社会に存在している、という証明であり、捜査の際にはそれを元に聞き込みなどを進めていくのだが、この男にはその戸籍がないのだ。それはつまり、この事件の人間関係を把握するのは容易でない、という意味になる。

「まあ、クーロンみたいなとこでは珍しくないけどな」

 署を出て第一発見者であり同居人でもあるチャン・ウェーのアルバイト先に向かいながらヒューズが呟いた。

 クーロンは混沌を具現化したようなリージョンだ。妖魔、人間、モンスター、そしてメカと、全ての種族が入り乱れて生活するこのリージョンは、表向きは人間のリージョンとなってはいるが、その実、人間の習慣が中心となっているかと問われればそうではない。他の人間のリージョンでは出して当然とされている『出生届』という書類の提出率も四十パーセントを切るとか。

「と、ここだな」

 チャン・ウェーのアルバイト先は署から五分ほど歩いた場所にあった。表通りから少し入ったところにある薬局が、彼のアルバイト先らしい。

「ちょっとすいませ〜ん」
「はいはい、いらっしゃい」

 奥から中年の男が顔を出す。

「あのね、IRPOの者なんだけど」

 ヒューズがそう言うのと同時に懐から手帳を取り出す。IRPOのマークが入った革の手帳を開くと、そこには写真と所属部署、名前などが書かれている。いわば身分証明書だ。

「ここでアルバイトしてるチャン・ウェーさんについて聞きたいんだけど。アパートにはいないらしくて、それでここまで来させてもらったんだけど、どこにいるか知ってます?」
「ああ、チャンなら上にいますよ。ちょっと待っててください」

 一礼すると主人は店の奥へと消えた。しばらくして、階段を降りる足音が聞こえ、主人と、背もあまり高くない、痩せた男が現れた。この男が第一発見者か。

「ちょっと話聞かせてもらえるかな?」

 そんなヒューズの言葉に彼は頷くと、一緒に店を出て、裏路地へと入った。

「もうクーロン署で話したと思うんだけどさ、事件のこと、もう一回聞かせてくれないかな?」
「はい」

 青年はか細い声で答えると、被害者との出会いから死体発見までを手順を追って話し出した。二年前に酒場で知り合い仲良くなったこと。知り合って二ヶ月で同居を始めたことなどだ。

「何で同居するようになったんだ?」
「二人ともお金がなくて、それなら二人で一つの部屋を借りて家賃を折半したらいいんじゃないかって話になったんです。最初に言い出したのはヤオで、俺も別に嫌じゃなかったからOKしたんです」

 その後すぐにチャン・ウェーは今のアルバイト先を見つけ、働き出したという。先ほど読んだ調書と一致していた。

 やがて話は事件当夜へと進んだ。と、そこで急に彼が泣き出した。まあ、第一発見者が知人だった場合にはよくあることだ。どういう作用があって泣く、という行為に至るかは知らないが、人間の場合、何か辛いことや悲しいことがある時には涙というものを目から流し、『泣く』のだそうだ。以前、それが理解できずにヒューズに確かめたところ、驚かれたのを覚えている。

「まあまあ、落ち着いて」

 ヒューズが青年の背中を軽くさすると、彼はしゃくりあげながらも自分が見たことを話した。

「……見た瞬間に死んでいるというのはわかったんです。ヤオは、俺に足を向けて倒れてたんだけど、床にすごい量の血がこびりついていて……。だから、もう生きてないなって思って、頭の中真っ白だったんですけど、とにかく、IRPOに電話しなきゃって思って、だから、だから……」
「それで通報してくれたんだな。よしよし、話してくれてありがとう」


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