◆第二節:絡む運命の糸・赤
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オルロワージュとヴァジュイールが共に妖魔の君となり、またよりを戻した時、真っ先に話題に出たのがファガルスタンのことだった。いつ崩壊するのかわからぬ我らが故郷を、最後の一日まで見守ろうではないか、ということだ。当時、ようやく人間も混沌を移動することが多くなり、ファガルスタンにもその手は伸びていった。己の故郷を離れ、ファガルスタンという地を新天地として選び、我が物顔で支配されるのも妖魔にとっては癪に障るのだろう。しかも、そのせいで、そこに住んでいた妖魔たちは追いやられ、徐々に数を減らしているといえば、その怒りはもっともだ。
「ファガルスタンにいる人間を全て追い出してやる」
それが初めにオルロワージュが出した案だった。だが、ヴァジュイールは首を振る。
「すでにあのお方は亡き身、我らが故郷も滅びる運命にある。今無理やり人間を追い出したところで、それは変えられん」
「ならばお前はこのまま見ているだけだというのか」
「そう言っているのではない。そうだな、せめてあそこで暮らす我が同胞たちを守ることか」
本来ならば目も向けぬ下級たちに彼らが心を注ぐのもまた、馴染み深い土地での出来事だからこそ。
「一年に一度、配下の者に様子を見に行かせる。これでどうだ」
「ふむ。その代わり、人間がおかしい動きをすれば、すぐさま私は兵を出すぞ」
「それはお前の勝手にすれば良い」
こうしてここに、ファガルスタンに対する約束が取り決められたのである。
さて、話はゾズマに戻る。生まれてからこれまで、年に一度ファガルスタンを見に行くのは彼の役目だった。それほど危ない仕事でもなく、それでいて妖気の強い彼にはもってこいの仕事だろう。今年もこうしてファガルスンタンに趣き、今やほとんどなくなってしまった妖魔の生息地へと馬を走らせる。
開けた土地に見える家の屋根は人間が建てたものだ。それも毎年広がってきているような気がする。そしてそれにつれて、森や川、緑の谷から妖魔の姿は消えていった。一つは、年々発生する妖魔の数が減っていること、そしてもう一つは――。
「まったく、ここが妖魔のリージョンってことくらい……わからないんだろうね。人間は」
やれやれ、とため息をついてさらに馬を走らせ、辿りついたのはうっそうと木々が茂る森だった。今このファガルスタンで、一番多くの妖魔が生息している森だ。この深い森にはさすがに人間の姿も見られない。一度見かけたこともあるが、それは迷い込んだ人間だった。どうせ、知らぬうちに死んだのだろう。
ここから先は馬では踏み込めない。余りにも道が悪く、下手すれば馬が脚を傷めてしまう。仕方がなしに、森の入り口に馬を繋ぎ、一直線に森の一番深い場所を目指す。そこには一人の邪妖がいるのだ。邪妖ながら、この森のリーダーとして、ここに住まう下級や邪妖に慕われている者が。
「まったく、何で邪妖が慕われてるんだろう」
それは妖魔たちにとっても不可解なことだった。邪妖といえば『見るにあたわぬ者たち』。そんな者が他者から頼りにされ、森を治めているだなんて、絶対的な身分で構成される妖魔社会ではあり得ないことだった。しかし、ここファガルスタンではそれが存在する。
「よくわかんないよ、この森の連中は」
そう零して足を進めようとした時、ふとゾズマは顔を上げた。
「誰?」
木々に半ば隠された空へと問いかけても答える者はいない。だが、誰かがいた。この森の妖魔だろうか。いや、それならすぐに気付くはずだ。例え邪妖といえども、完全に気配を消してでもいない限り、存在が気付かれないなんてことはない。
「出ておいでよ。別に消したりなんてしないからさ」
そう呼びかけても影はない。次第にゾズマも機嫌を損ねていく。
「何だよ、僕がせっかく声をかけてあげたのに――」
と、そこで上を見上げていたゾズマの視界にちらりと白いものが映った。慌ててその方向を見れば、なかなか大きな木に、ぽっかりと空いた穴が見える。
「もしかして鳥かな?」
鳥が巣を作っているのかもしれない。だが、それにしてはやけに静かだ。鳴き声の一言すら発せず、巣にこもる鳥がいるだろうか。
だが、ここはオルロワージュが時に声を張り上げるほど好奇心旺盛なゾズマのこと。よっと一声挙げると、その木へとしがみつき、服が汚れるのも気にせずするすると登っていく。くだんの木のうろへと手をかけ覗き込み、ついにゾズマを見ていた者との対面を果たすことができた。
怯えるわけでもなく、かといって出会いを喜んでるわけでもなく、ただ自分の領域へと侵入してきたゾズマを見上げていたのは、薄紫の瞳をした子供だった。
「やあ、こんなとこにいたんだね。僕、ゾズマ。君は?」
「…………」
「もしかしてまだ発生してすぐなのかな? しゃべれないの?」
そう尋ねても子供は反応しない。ただ、うろの入り口から入り込む風が、その白い髪をそよそよと揺らすだけ。だがここで、ゾズマが手を伸ばして触れようとすると、初めて子供は反応した。ずずっと後ずさる仕草を見せたのだ。つまりはひどく警戒しているということ。
「怖くないよ。ほら、おいで」
相手のことは構わず、その頬に触れるとすっと顔を逸らす。触れるな、と無言で訴えられて少々気分を害したが、一人で発生する妖魔なんてそんなもの、と知識に照らし合わせて息を吐く。自分はもう三十年も生きているのだ。ここは一つ大人の余裕を見せなければ――といっても、妖魔の三十歳など、人間に照らし合わせれば十五の少年と同じなのではあるが。
「まあ、いいさ。それに僕もそんなに暇じゃないからね」
切り捨てるようにそう呟いて、ゾズマはその場を後にした。とにかく先に用事を済ませて戻ろうと、鼻歌など歌いながらそのまま森の奥へと進んでいく。うろの中の幼い妖魔は、ここでようやく穴から顔を出してその後ろ姿を見送るが、もうゾズマが振り返ることはなかった。
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