◆第二節:絡む運命の糸・赤
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燃える炎のような赤い髪は、ムスペルニブルの炎とどちらがより赤いのか。その美しき体を流れる蒼い血は、ファシナトゥールの空の蒼とどちらがより蒼いのか。誰もがそう噂する若く力強い妖魔は、今日も今日とて主君の声に追われながら部屋を飛び出した。
「よいな! 必ず見てくるのだぞ!」
「わかっておりますっ」
とうていわかっていそうにないはしゃいだ声で返事をすると、延々と続く城の階段を駆け下りる。緩やかな螺旋を描く階段を一段降りれば、それに合わせて彼のフロックコートの裾がひょこひょこと揺れる。
「あら、ゾズマ様。どちらへ?」
「ちょっとファガルスタンにね!」
「まあ。いってらっしゃいませ」
深々と頭を下げたミルファークに対し、片手を挙げて挨拶を交わすと、城の最下層にある厩へと向かい。
「ちょっと馬を出してくれるかな」
「では一人乗り用の……」
「ううん、馬だけでいいよ。馬車で行ったら傷がついちゃう」
そう言えば、話を聞いた男はすぐさま馬具を取り出し馬に据える。この馬具も、そして馬も全てはゾズマ専用の物だ。もちろん、与えたのは主君オルロワージュに他ならない。
彼の服に合わせたかのような黒毛の牡馬は、滑らかな光を放つ尾を振って主を迎える。
妖魔の世界は全て妖しの力で動いている。この馬もまた、妖力を持った馬だ。残念なことに(とは妖魔たちの言葉である)妖魔になれはしなかったが、生きているうちに妖気をその身に纏い、種の寿命の何倍もの命を持ちえた。この世界に存在する種の一つ、人間はこういった類のものを『化け物』として忌み嫌うが、お前たちも同じ種に乗っているではないか、と妖魔たちは常々馬鹿にする。
「準備が整いました」
「そう。ご苦労さま」
さて、ゾズマのこの妖馬を丁寧に世話しているのは、このリージョンで唯一、城に入ることを許された下級妖魔の男だ。だが、下級と言えども、その持つ技は素晴らしく、城主ですらこの男に馬の世話を一任するほどである。いわば、妖魔の社会の中ではひどく珍しい存在。名を持たぬ男だが『認められた者』と皆に呼ばれている。
その彼が磨いた馬具に跨り、彼が飼葉を食わせた馬の腹を蹴ってゾズマは城を飛び出した。目指すはファガルスタン。かつて、妖魔の君が君臨した妖魔のリージョンである。
頭の中に風景を思い浮かべて妖力を高めれば、次第に周りの風景はぼやけ、次に目を開いた時には目的の場所へと着いている。邪妖や下級では為せないこの技も、針の城随一の妖気の持ち主だと言われるゾズマにとっては朝飯前のこと。何せ彼は上級妖魔の中でも最も妖魔の君に近いと言われる存在なのだ。それはもちろん、オルロワージュの玉座の下で生まれたという事実がそうさせる。妖魔の君に近ければ近いほど格の高い妖魔が生まれる。その法則でいけば、彼はまさに最高の上級妖魔というわけだ。――まだ、成長途中ではあるが。
「ほんとに人間臭いリージョンだね」
着いて第一声、抜けるような青い空を見上げ、ゾズマはそうごちた。かつて、この地を創り出し治めた妖魔の君は、不思議と自然を愛する者だったという。
「およそ妖魔の秩序から外れたお方ではあったが、素晴らしい力をお持ちだった」
そう語るのは彼の元・臣下であったオルロワージュだ。かつてオルロワージュはヴァジュイールと共に、その妖魔の君に仕えていた。その頃、この世界に妖魔の君はかの君一人で、ともにこのリージョンで生まれた現・妖魔の君二人も自然とかの君に仕えるようになったのだと。
その後、かの君が寿命を迎え、静かに消滅していった時にも二人は側にいた。涙は微塵も出なかったが、それでも心にぽっかりと空洞が空いた気分になったという。それが哀惜という感情であることはわかっていても、それに浸っている暇はなかった。これから己は何を為すべきか。永遠に続くかに思えた仕えを失くした今、己は妖魔としてどう生きるべきなのか、と考え、二人は道を分かつことになった。そうしてそれから三百年後、二人の妖魔の君が誕生することとなる。
「なぜ妖魔の君になったと気付かれたのでしょう」
まだ幼かったゾズマのその問いかけに、オルロワージュは首を振りながら答えた。
「特にそのようなものはなかったが、ある日夢を見た」
その夢の通りにオルロワージュは、未だ文明のあまり開けていないファシナトゥールへと赴き、その中心にあった町を焼き尽くした。そしてそこに針の城を立て、主として収まった。それは現在のファシナトゥールの誕生として記されていることだ。
このようにしてファシナトゥールの君主として治めるようになったオルロワージュだったが、一つだけ気がかりがあった。それが、己が生まれた故郷ファガルスタンの存在である。
現存するリージョンには自然発生的に誕生したリージョンと、力を持った者が自ら創りあげるリージョンの二種類がある。オルロワージュのリージョン、ファシナトゥールは前者、同じく妖魔の君であるヴァジュイールの治めるムスペルニブルは後者、といったように。そして、二人の生まれた土地ファガルスタンは後者、つまりかの君が創りだした空間で、それゆえに一つの問題を抱えていた。
全てのものに寿命があるのは当たり前のことだが、リージョンにもまた寿命がある。それが何年、とはっきり定まっているわけではないが、自然発生したものにしろ、創造されたものにしろ、いつかは寿命を迎え混沌の中へと還っていく。特に何者かが創造したリージョンは、そこの主がいなくなれば崩壊する、という運命にあり、ファガルスタンもまた例外ではない。ただ、その崩壊の速度が、他のものに比べてひどくゆっくりしたものであるのだ。それが何ゆえと言えば、かの君の力の強さによる。
妖魔の創造したリージョンは主を失ってから早くて数年、遅くても五百年の間に崩壊するが、ファガルスタンは主を失ってから八百年、未だに存在し続けていた。最近、少しずつ崩壊の兆しが見えてきたとはいえ、それでもあと百年は持つだろう、というのが現在の妖魔の君の見解だ。
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