◆the Supernova
(1/2ページ)


 今から思えば、その兆候は対決を終えた直後からあったのかもしれない。ブルーはふと、そんなことを厚い革表紙の中のページをめくりながら考えた。

 中身はたわいのない日記――いや、日記というにはおこがましいほど日付が途切れ途切れのものだが、それでもこの文字の羅列は『彼』が生きてきた何よりも確かな証拠だ。思うことがある時にこれを開き、ただ手の動くままに書き記したのだろう。上手でも下手でもない平凡な筆跡を見て、自分とは違うもう一人の『自分』の人生を知るのはあまりにも不可思議なことだが、今のブルーの状況を考えるとそれもまた彼の人生に組み込まれた必然ではなかったのかと思われてくる。

「どうにか言ったらどうだ」

 そう呟かれた一言は、受け取る者もなく空中へと消えた。

「お前はこの日記が見たかった。だから俺をここへと導いたんだろう」

 徐々に問い詰めるような口調になってきたにも関わらず答えはない。今や『彼』は、ブルーの中でまるで眠りについているかのように押し黙ったまま、ちらりとも姿を見せようとはしない。

 相手が反応しない以上、どうすることもできない。そもそもブルー自身は、どうやってここへ来たかすらはっきりと覚えていないのだから。ただ、あの時の妙な焦燥感だけは覚えている。「何があってもここにたどり着かなければいけない」と自分に言い聞かせながら森の中を走り、あちこちで獲物を探すかのように目を光らせているモンスターから身を隠し、やがてその奥に現われた、見慣れた建物へと飛び込んだ。長い廊下を全速力で走り、階段を何段昇っただろうか。たどり着いた目の前の扉を見た瞬間、ふいに涙腺の弛む感触がした。

 必死に追いかけてきた仲間の呼ぶ声にも答えず、そのまま部屋の中に潜り込むとそのまま鍵をかける。その部屋自体には見覚えがあったが、それがブルーが学院にいた時に使っていた部屋と同じ作りの部屋であることに気付いたのは、ベッドの下から魔術書のように分厚い本を取り出し、ブルーとしての意識がはっきりと戻ってきてからだった。

 部屋の中を見渡すと、それが自分の使っていた部屋でないことは一目瞭然だった。壁に見覚えのない穴を見つけたのを始めとして、次から次へと自分の部屋とは違うものが見つかっていく。ベッドの色あせも、机に残った傷も、床の張り替えられた場所も何もかもが違う部屋。だが、ブルーには思い当たることがあった。なぜ自分がわき目もふらず、一直線にこの部屋を目指してしまったのかを考えればすぐにそこに辿りつく。

「お前が使っていた部屋。そうだろう、ルージュ?」

 だがそれに対する『彼』からの答えはなかった。元よりこちらも返答を期待していたわけではない。さっさと椅子を引っ張り出し、手に持った革表紙を開き、最初に目に飛び込んできた字を追う。

 日記は学院の大学部を卒業した二十歳の春から始まっていた。大学院に進学できた喜びが素直に綴られていて、果たして自分はこんな気持ちを持っていただろうか、と考えながらも読み進めていく。いささか思考が幼いといえば幼いのだが、それだけ素直に自身の思いが出るのだろうか。時には楽観的に、時には真剣に綴られる日記を一ページ、また一ページと読み進めていくうちに、体の中に潜んでいた何かがくすぶり始めているのを感じた。

 『彼』は、自分とはこんなにも違う人生を歩んできたのかということが、たった二年間綴られた日記でもわかってくる。全てを己の意のままに操れるよう教育されてきた自分とは正反対に人を信じ、人の輪の中に溶け込んでいけるように教育されてきた『彼』。しかし、そこでふとブルーは馬鹿馬鹿しくなって読むのを止めた。まるでそれぞれの教育方針が今の自分たちを作り上げてきたような、そんな気になったからだ。

 ブルーは別に、自分を不幸だと思ったことはない。常に優秀だと言われ、他の生徒たちの見本として名を挙げられることは彼にとっては非常に名誉なことだった。誰よりも抜きん出て才能のある自分の生活は幸福そのものだった。外遊に出て、ルージュとの対決に勝った瞬間も、自分の人生は順風満帆だと思われた。それがなぜ、今になってこうも思い悩む必要があるのか。

「それも全てお前のせいだ」

 今度は低く呟かれた言葉一つで、ブルーは全ての責任をルージュに押し付けることにした。勝つために戦ったというのに、負けてその命を落とすことになれば誰だって今の状況を望んでいたものではないと考えるのは至極当然のことだろう。

 自分の中に生じた迷いは、ブルー自身が感じているものではなく、その中に生き続けるルージュの意志がそうさせるのだと。そう考えた瞬間ふと気持ちが軽くなり、ブルーはまた文字を追うことに専念する。

 やがて、日記はある日をもってぷつりと途絶えた。それは忘れもしない、修士終了式の日――ブルーに双子の弟ルージュがいると聞かされた日だ。その日の日記を書いたのは終了式が終わった直後のようだった。その時の動揺を表すかのように、いつもに比べて文字が震えている。

『僕は今から、世界にたった一人の血の繋がった兄弟を殺しに行かなければいけない。その兄を殺し、全ての資質を譲り受けなければ僕は一人前の術士にはなれない』

 終了式の日、自分はどう感じただろうか。そう遠くない記憶の糸を手繰り寄せると、すぐにそれは見つかった。そして、思い出すと同時にブルーの口から小さなため息のような笑いが漏れる。

『なぜ兄弟で殺しあわなければいけないのだろう。どうして殺さなければ一人前にはなれないのだろう。僕は、その答えを探すために旅に出ようと思う』

 ルージュの記した一言がそうさせた。すでに何から何まで違う相手だというのはこの日記を読むことで理解したつもりだったが、まさかここまで違うとは。

「俺はお前を殺したくて殺したくてたまらなかった」

 ルージュに直接語りかけるようにブルーは言葉を紡ぐ。

「お前さえいなければ、俺はあの日をもって完全な術士となれるはずだった。ところがどうだ。双子の片割れを殺さないと一人前とは認めないときた。他の奴らはさっさと一人前として認められていく中、俺だけが――学院内で一番優秀だと、学院始まって以来の天才だと謳われたこの俺が術士だと認められない。その時の俺の惨めさが、悔しさがお前にわかるか? 今まであざ笑っていた奴らに指をさされて笑われる屈辱がわかるのか?」

 まるで今までたまっていたものを吐き出すかのようなブルーの声は最後には悲鳴に近かった。それが聞こえたのか、扉の外から呼びかける声があったが、それもすぐに止んだ。仲間のうちの誰かが止めたのだろう。

「双子がいることはずいぶん前に聞いていた。だが、それがこの俺が術士となるための障害になるなんて誰がわかる。俺が聞かされていたのは双子だから魔力が強い、双子とは選ばれた存在なのだから、それを誇りに思えとそれだけだった。それなのに……」

 ブルーの声はいつしか涙声になっていた。あの日感じた悔しさを思い出し、目からこぼれた涙がぽつっと音を立てて紙に染み込んでいく。式が終わった直後は急に知らされた真実と己のこれからの道を覆う暗闇に怒りが湧いた。それが今度は悔し涙として外へと流れていく。

 悔しくてたまらなかった。双子ゆえに一人前とは認められないと聞かされて、今まで自分の積み上げてきたものが足元から崩れていくような絶望を味わった。それを怒りと恨みに換え、まだ見ぬ双子の兄弟を殺すためだけに旅を続けてきた。ようやくその気持ちが晴れたのはルージュを殺したその時だったというのに、今またこうして彼の綴った日記を目にすることによって、自分の足元がぐらついているのが手に取るようにわかる。それがまた悔しかった。こんな言葉一つで取り戻したものを再び失ってしまうかもしれないということが悔しかった。それと同時に再びルージュに対する怒りが湧いてくる。


[1] 次へ
[3] ブルージュトップへ