◆結局は


「で、そこで俺はこう言ってやったんだよ。『ちょっとでも動いたら頭に穴が開くぜ』ってな」
「それでどうした。撃ったのか?」
「そんなわけねーだろ。それで殺っちまったらクビになる」

 そう言って男はコーヒーカップに残った最後の一滴をすすった。

「やっぱり、特捜課の安いインスタントとは違うよなあ。あ、おかわり」

 その一言にカウンターの奥でじっと腕組みをしていた男がぴくりと反応する。しかし、何か言いたげに開かれた口が言葉を紡ぐことはなかった。彼の背中を軽く叩いた手があったからだ。

「まあ、いいじゃない」

 ウェイトレスがその顔に美しい笑みをたたえたまま、右手に持ったポットを軽く掲げた。

「だが、ライザ……」
「少しくらい動かさないと、足が棒になってしまいそう」

 それだけ言い残して、彼女は客席へと向かう。その後姿を見つめながら、男は小さくこぼした。

「コーヒーだけで三時間も粘られるのもどうかと思うがな」

 もちろん、その言葉は客席でタバコをくゆらせている男には聞こえていない。

* * *

 二人が出会ったのはもう十年近く前のことになる。

「なんだよ。おっさんも心術の資質を取りに来たのか?」

 第一声からしてそんな生意気な口を叩くこのクソガキだけには負けたくない――もちろん、自分が資質を得られる自信は存分にあったが――そんなことをふと考えて、ルーファスは首を軽く横に振った。大人気ない、と自分に言い聞かせ、目の前のまだ少年の面影を残す男から目をそらす。

 だが、男のおしゃべりは止まらない。

「俺はロスター。今度さ、IRPOの試験でも受けてみようと思ってんだけど、何か一つは術が使えた方が有利かな、って思ってさ。でも秘術や印術は取るのめんどくさいし、陰術にしろ陽術にしろ、何かこう俺の理想ってやつからは離れてるんだよな。やっぱ男なら、己の心を鍛えてばちっと決める心術なんてのがかっこいいだろ、な?」

 黙って聞いていると、ロスターと名乗ったその男は自分の理想の姿だの、真の漢だなんてものを話し出す。それがまたとても現実離れしたもので、ルーファスは思わず口を緩めてしまったが、それがロスターにとっては好印象に受け取られたらしい。

「おっ。おっさんも話がわかるな」

 大きな口をニッと開いて彼が笑った。それに少しばかり機嫌を損ねた風に、ルーファスが口を開いた。

「まだ『おっさん』と呼ばれるほど年は食ってないんだがな」
「じゃあ、何て呼べばいいんだよ」

 逆にそう返されて、ルーファスは言葉につまった。何しろ、こんなところで知り合いを作る気など毛頭ない。ましてや、これからの自分の生活のことを考えると、このIRPOに入りたいなどと言う男と知り合いになって果たして仕事に支障をきたさないだろうか、という不安が頭を過ぎった――のだが。

「……ルーファスでいい」

 そんな勤めてぶっきらぼうに与えられた答えに対し、ロスターは腕を突き出して。

「よろしくな、ルーファス!」

 そう言って、半ば無理やりルーファスの手を取って、握手を交わしたのだった。


 その後、二人はめでたく心術の資質を手に入れることができた。もちろん、一筋縄ではいかなかった。特にロスターは『モンスターをぶっ倒す』という情報しか知らなかったため、一体それがどうすれば倒せるのか、ただ腕っ節が強いだけでは無理なことをルーファスから聞かされて顔をしかめたものだ。

 だが、彼は胸を張って言った。「ルーファスにだけは絶対負けねえ」と。

 なんとか修行を終わらせ、仏堂の中から出てきたロスターが見たものは、余裕の表情で壁にもたれかかっているルーファスの姿だった。それにまた彼は思い切り悔しがったのだが、所詮高校生と今まである程度の場数を踏んできた者では違うと修行場の人間に諭され、渋々理解したようだった。

「でも負けたことに変わりはねえからな……悔しいけど」
「まあ、そう言うな。お前はこれから強くなるんだろう?」

 ふいに聞かれてロスターは自分の腕を指差して当たり前だと言わんばかりに頷いた。だが、それにルーファスはゆるゆると首を振り、言葉を続ける。

「戦う腕はもちろんのことだが、それよりも己の精神の強さ。それを極めてこそ、漢というものだ」

 夕日を見つめるサングラスの奥の目がどこか夢を見る少年のようなものに変わる。

「俺は何事にも動じない強さが欲しかった。それが、俺が心術を選んだ理由だ」

 そうだろう、と無言で相槌を求めた男に、ロスターはふと眩しげな目をして頷く。

「やっぱり、ルーファスって話のわかる奴だよな」

 ほんの数時間前のように、生意気な口を叩くことも忘れずに。

* * *

「――なんてことを思い出すんだよ、このコーヒーを飲むとさ」
「確か、その後ここに連れられてきて、最初に口にしたのがこのコーヒーだったのよね」
「そうそう。腹が減ったって言ったらさ、クーロンでよければうまいもん食わせてくれるって、あいつがさ」

 ヒューズは淹れたてのコーヒーに軽く口をつけたまま、視線をカウンターの奥にいる男へと注ぐ。

「散々文句も言ったがな。『野郎の手料理なんか嫌だ』とか何とか」
「そりゃ、こんな綺麗なお姉さんがいるのに、お前がさっさとエプロンつけるんだもんな。ありゃショックだったぜ」

 その時のことを思い出したのか、ヒューズが苦笑いをした。だが、それも瞬間のことで、またコーヒーカップに口をつけては、熱さに顔をしかめながらも中身を減らしていく。そんな時だった。静かな店内に大きな電子音が響いたのは。

「お、悪ィ」

 そう断ってヒューズは胸元からトランシーバーを取り出し、受信スイッチを押す。だが、一向に相手からの連絡は聞こえない。壊れているのか、とヒューズが確認しようとしたその時、あちらからマイクを通した声が一言「戻って来い」とだけ発して切れた。

「あら、残念。相棒さんからのお呼び出しね」
「まったく。しゃべらねえくせにやりたがるんだ」

 笑ったヒューズに、ライザも愉快そうにころころと笑い声を立てた。カウンターの奥にいたルーファスもふっと笑いを漏らす。無論、相手が誰なのかはわかっている。彼もまた、このレストランの『無銭飲食』の常連になりつつあるのだから。

「じゃ、ごちそうさん!」

 レジをすり抜け、さっさと飛び出して行ってしまったヒューズを見送ったライザがふいに呟いた。

「彼、強くなったのかしら」

 それに対し、同じように「さあな」と味気ない呟きが返ってくる。だが、彼のそんな答えもすでに彼女の中では予測できたこと。慣れた手つきでテーブルの上を片付け、ルーファスの横を通りすがる際、耳打ちをした。

「ぼんやりしてると、追い抜かれてしまうかも」

 茶目っ気たっぷりにそう言われて、ルーファスは口の端を吊り上げた。

「それはどうかな?」

 そんな言葉がコーヒーカップを洗うライザの背中越しに聞こえ、彼女もまたルーファスにはわからないようにふと笑う。まったく、いい年して張り合っちゃって。そう考えると、ついに笑いが抑えられなくなり思わず口からこぼれた。一度は押し込めようとしたが、もうこれ以上我慢できるはずもなく、ついに大きな声で笑い出す。

 それに怪訝そうな顔をして「どうした」と尋ねてきた男に、ライザはさっと振り返り。

「あなたたちって本当にいい友達ね」

 そう言ってまた笑った。


|| THE END ||

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