◆道は違えど
ファシナトゥール――妖魔の君が治める妖魔のリージョン。
昼夜はなく、ぼんやりとした光の中に浮かび上がる世界は、世の中の一部の人間にとってはある種の憧れを抱かせるものであるという。
だが、実際に訪れた者は口々にこう言うだろう――「身動きのできぬ沼のような世界だ」と。外の空気を知る者はそう言うだろう。
しかし、中で生まれ、育った者は知る由もない。なぜ、そうなのか。何がそうさせているのかを。
* * *
聞き慣れた穏やかな声がかけられたのは、男がちょうど剣を納めた時だった。
「ラスタバン。どうかしたか?」
振り返った深緑の髪の男に、その名を呼ばれた男はふっと肩をすくめる。
「手が空いたので一緒にお茶でも、と思ったのだが……鬼気迫る表情でモンスターと対峙している君を見ると足がすくんでしまってね」
「馬鹿を言え」
いつものように聞き流しながらも、イルドゥンは僅かに唇を歪ませた。他の者から見れば馬鹿にしているように思えるその顔も、友人であるラスタバンには違うのだとわかる。それが自分に対する彼なりの『笑顔』だと知っているからだ。
妖魔が互いに干渉しあうことは稀だったが、少なくともこの二人の間には友情と呼べるものが存在した。発生した時期が近かったからなのか、はたまた同じ黒騎士として訓練を共に受けてきたからなのか、実際のところはよくわからない。
ただ、他の黒騎士たちと違って、ラスタバンは常にイルドゥンのことを気にかけ、イルドゥンもまたいつも頭の隅でラスタバンのことを考えている。そしてそれが互いにとって苦にならない。それが何百年もの間ずっと続いているからこそ、彼らに『友情』という言葉を当てはめても誰も不思議に思わない。
常に互いを認め合い、相手を対等として扱う。そして相手の意思を尊重する。そうして彼らの絆は固いものとなった。
しかし、何よりもその絆を強固にしたものは共に抱いている望み――ファシナトゥールの永遠に続く繁栄であった。
「この空はいつも変わりないな」
窓辺に立ち、ふいにそう呟いたのはラスタバンだった。
意味を解さなかったイルドゥンは口につけていたティーカップを僅かに離し、友へと怪訝そうな顔を向ける。
「明るいようで暗く、暗いようで明るい。まるで日が落ちた直後の空というか――」
「人間のリージョンか。ここはオルロワージュ様が自ら作り出された空間だぞ。たかが人間なんぞの世界になぞらえるなど無礼にもほどがある」
「もちろんそんな意味ではない。ただ――」
「ただ?」
聞き返したイルドゥンに視線もくれず、ラスタバンは軽く首を振った。
「今のことは忘れてくれ。私も少しばかり疲れているようだ」
先ほどまでの陰鬱な表情が嘘だったかのように笑ったラスタバンにイルドゥンもふとため息をつく。一瞬胸によぎった何とも言えぬ予感も共に吐き出されたのか、もはや友人を責めることもない。
相手の腹を探り合うような間柄でもない上、よほどのことがない限り、他者の発言を深く掘り下げようとはしない彼の元からの性格もあって、イルドゥンはラスタバンの言葉にそのまま返事をした。
「お前もたまには体を動かしてみてはどうだ。執務室の机に張り付いてばかりでは、あの素晴らしい槍も錆びついてしまうぞ。何なら俺と一戦交えてみるか?」
珍しいイルドゥンの申し出に、ラスタバンは笑ったまま首を横に振った。
「とんでもない! 私はまだまだ消滅を望む身などではないよ」
「何を言う。このファシナトゥール広しと言えども、お前以上に腕の立つ槍使いに出会ったことはないがな」
その率直な賞賛にラスタバンは小さく「ありがとう」と呟いた。他者を滅多に褒めることのない『宵闇の覇者』の手放しの賞賛は、例え彼の友人だと自負する身であろうとも少しばかりくすぐったかったようだ。
少し冷めた紅茶を飲み干すと、ようやく自分の席へと腰を落ち着ける。
「もう一杯、いかがかな?」
イルドゥンのカップが空になっているのに気付いたラスタバンが、細工の美しいティーポットを軽く持ち上げる。その顔はすでにいつもの穏やかな笑顔に満ちていた。
「では、お言葉に甘えて」
ありきたりな受け答えでも、ふいに目を合わせて笑みをこぼす。
「また訓練場に戻るのか?」
ポットを傾けたままそう尋ねてきたラスタバンに、イルドゥンは無言で肯定の返事をする。
「お前は? また書類とにらみ合うのか?」
「そうだな……」
軽く首を傾げること数秒。ラスタバンは小さな笑い声を漏らして。
「私も訓練場にお邪魔することにするかな」
そう言って部屋の壁に掛けられた大きな槍に視線を投げた。
「君があまりにも心配してくれるものだからね。そこで、ぜひとも手合わせ願いたいのだが」
「ああ。だが互いに手加減はなしだぞ」
「もちろんだとも!」
* * *
共に抱いていた望み――それはファシナトゥールの終わることのない繁栄。
それに向かってラスタバンは情熱をもって行動し、イルドゥンは頑なに変化を拒み続けた。
その結果、二人の絆に歪みが生じてしまうことにはなったが――それでも常に精神は同じ高さに。
|| THE END ||
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